2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

開目抄を執筆

佐渡配流となり、念仏の盛んな塚原という土地に留め置かれた日蓮さんですが、ここでの生活は死罪とも等しい、苛烈なものでした。加えて、鎌倉にいた信徒の多くはいかに日蓮さんが立派な学問知識があり正しい主張をしていたとしても、度重なる迫害や他宗徒か…

龍口ご法難

幕府は日蓮さんを捕えて佐渡送りとすることにしました。平頼綱らが率いる数百人が、夕刻になり松葉谷の小庵に到着。日蓮さんを捕え、縛り上げ、ご持仏を泥中になげいれ、法華経を破き、踏みつけ、さらに日蓮さんの懐中にあった法華経第五巻で日蓮さんの頭を…

雨乞い祈祷対決

いよいよ他国侵逼の災難が現実のものとなろうとしていました。 蒙古国の使者が高麗をへて博多に到着。 時の執権は若き北条時宗。日蓮さんは、立正安国論の予言が的中したいま、時宗に対して我が書に対する対応をせまるとともに、政界仏教界の代表者十一名に…

小松原ご法難

1264年11月11日。 地頭の東条景信らが日蓮を亡きものにしようと小松原にて待ち伏せ、一行に襲いかかり、弟子や信徒たちが命を落とし、あるいは重傷を負うという事件がありました。このとき日蓮さんは、景信に馬上から刀で切りつけられ、額を負傷。 さらに矢…

大彗星あらわる

鎌倉に戻りふたたび布教を開始した日蓮さん。東の空に大彗星があらわれて、人々は凶兆であるとして騒ぎ、恐れる事件がありました。諸天善神は法華経の行者である日蓮をあわれんで大彗星をとばしたまい、天変を起こしたのでありましょうか。 日蓮さんはそう思…

伊豆ご法難

鎌倉の松葉谷にて襲撃を受けてから、下総国の信徒の帰依を受けて布教の日々を過ごされていた日蓮さんでしたが、もはや、この法華経を弘めるのは我をおいて他にないというご心境であったでしょう。どんな攻撃を受けても、1歩も引かない。 強い意志で政治の中…

松葉谷ご法難

立正安国論を幕府に奏上し、約1ヶ月後のことです。日蓮さんが住み、布教の拠点としていた松葉谷の小庵を、夜陰に乗じて暴徒数百人が襲い、これを焼きはらいました。奇蹟的にも日蓮さんは難を逃れたのですが、命を狙う大勢の暴徒が、ここ鎌倉にはいることか…

立正安国論(3)

天台大師が一切経を研究して、それらを整理した立場である教相判釈(きょうそうはんじゃく)を議論のベースとして、伝教大師以来の天台宗の教えに則り、法華経を最上位とすることを同意した日蓮さん。彼の議論の方法は、非常に論理的で客観的です。 また、そ…

立正安国論(2)

守護国家論はまことに論理的で体系的な、いわば論文であり、これを読み内容を理解できる人間は学識のあるものに限られましょう。よって、自分の考えを民衆に向けて書いたという書ではなく、学僧や仲間に向けたものと考えられます。一方の立正安国論は、主客…

立正安国論(1)

守護国家論を書いた翌年には、 「旅客来たりて嘆きて曰く・・・」ではじまる 有名な立正安国論を書きました。 こちらは戯曲のように、主人と客との問答形式により、現在の事実関係を整理し、その上で経文に説かれている災厄のうち、内乱が起きる、他国から侵…

守護国家論を執筆

鎌倉に布教の拠点をおいて、六年の歳月が流れましたが、その間、鎌倉を洪水、大地震、暴風、疫病、飢饉が襲い、おびただしい数の民が亡くなりました。日蓮さんはそのような災害の最中、これだけの魔除けや各宗の祈祷が休みなく続けられているのにも関わらず…

鎌倉にて布教をはじめる

日蓮さんは故郷をでて、幕府のある鎌倉に移られました。鎌倉での生活は松葉谷を拠点として、街頭に出て熱心に法を説かれたといわれていますが、教えになっとくして帰依するものあり、他方でそしり妨害するものあり。一般の人にむけてはなしをされるわけです…

故郷にて自説を述べる

建長五年(1253年)に比叡山を後にして、故郷に戻りました。 清澄寺にて水行をおこない、その満願となる4月28日に旭ヶ森に立ち、 立ち昇る朝日に向かって南無妙法蓮華経と十度にわたりお題目をあげたと伝えられます。 一切経を学び、修行を積んできた日蓮さ…

ご遊学:比叡山、奈良諸寺、高野山など

二十歳のころより比叡山をはじめ、南都、高野山にてご修行を開始されました。のちの著作、書簡にみられる既博な知識は、まさにこの間の約十ヶ年に及ぶ学問修行の成果でありましょう。天空に上らんとする臥龍のごとき、日蓮さんであったことでしょう。恵まれ…

ご出家:是聖房 蓮長

日蓮さんは十六歳でご出家されて、名を蓮長と改めました。その後は鎌倉に遊学されて、まさに当時の進取の気風にふれられて大いに刺激となった事でしょう。武士は禅に帰依し、民衆は念仏をとなえて後生を願う。 やがてふたたび清澄寺に戻りますが、さらに修行…

日本第一の智者となし給え

貞応元年(1222年)に安房国に生を享け、 善日麿(ぜんにちまろ)と名づけられた のちの日蓮さんは、十才となり、 ご両親から離れて、清澄寺というお山に入りました。お寺ではどのような日々を過ごされたのでしょうか。 象徴的なことがありました。 十二才の…

極楽百年の修業は・・・

極楽百年の修業は、娑婆の一日の功に及ばず。たしかに。 この世は、修業の場としては、ベストな場所かもしれないですね。 五感というものをとおして、この世界を認識して、喜怒哀楽という感情がわきあがり、行動にでる。 この流れって、すべて自己責任ですね…

旅でみんな大きくなった!

そのとおり! でも、なんのことでしょうか??(笑)これは、作家の立松和平さんが書かれた 本のタイトルですが、その内容たるや ・・・ びんびんとひびくんですよ (^_^)いろいろ書いていきたいと思います。