守護国家論を執筆

鎌倉に布教の拠点をおいて、六年の歳月が流れましたが、その間、鎌倉を洪水、大地震、暴風、疫病、飢饉が襲い、おびただしい数の民が亡くなりました。

日蓮さんはそのような災害の最中、これだけの魔除けや各宗の祈祷が休みなく続けられているのにも関わらず、それらはなんの効力もなく民衆はなすすべもない状態にあることに対して、いまの自分にできる最大限のことをする決心をされました。

この国が乱れた根本原因はなにか?
原因をたちきる方法はないのか?

私利私欲はありません。

ただこの国を安らかにすべく、
ふたたび一切経を紐解いて、
あらためてみえてきたのは、
薬師経、金光明最勝王経などに説かれる災厄。

また民衆は多く念仏宗に帰依し、来世の極楽往生を願い、阿弥陀一仏のみを頼むという、これまでの日本の伝統とは極端に異なる姿勢に傾き、天台真言の偉大な先人達が唐より招来した経典、仏像は打ち捨てられている、という現実でした。

日蓮さんは、自分のこれまでの学問研究の成果をもとに、一切経より証拠となる文章を引用し、大論文をかきました。
守護国家論です。
分量としては、のちに鎌倉執権に奏上した立正安国論の二倍以上です。

なにが述べられているか。
そこには、念仏宗をはじめとして、各宗の陥っている釈尊の説かれた教えとの乖離、間違った認識や誤りをみごとな論理展開で目の前に見せてくださいます。

日蓮という学者が書いた、総括的なレビュー論文といえましょう。
日本第一の智者たらんとした日蓮さんのデビュー作でした。