龍口ご法難
平頼綱らが率いる数百人が、夕刻になり松葉谷の小庵に到着。
日蓮さんを捕え、縛り上げ、ご持仏を泥中になげいれ、法華経を破き、踏みつけ、さらに日蓮さんの懐中にあった法華経第五巻で日蓮さんの頭を複数回殴るという乱暴行為をおこないました。
市中引き回し、鶴岡八幡の前にきたときに、八幡神に申し述べることありとして馬上より降りてこのように申されました。
「我れは法華経の行者日蓮である。
これよりくびを切られてみまかる。
諸天善神は、法華経を護る護法の神であると釈尊に誓ったはずであるのに、八幡神におかれてはなぜにこの日蓮をまもらぬのか。
いますぐに取り図られよ。」
龍口は刑場であり、深夜に到着し、
日蓮さんは御座に正座されて、心静かに法華経に祈った。
南無妙法蓮華経。
やがて役人が刀を振り上げたときに、江ノ島の方角からすさまじい光りものが龍口に襲来し、とても刑どころではなくなり、周りにいたものたちは恐れおののき、あたりは地獄絵図のようであったとつたえられます。
処刑執行は中止、その後いまの相模原あたりに留め置かれたあと佐渡へ送られることになりました。
このとき日蓮さんは自分のことより、連座で土牢に投獄された五人の弟子たちの身を案じて、かならずまたあって法を説きましょうと愛情あふれる手紙を書き送りました。